いのちをたべる、ということ

2017年9月16日

人間は、他の生き物の命の上に生きています。

有害なものを除けば、合理的理由で食べてはいけない生き物というのは無いはずです。
(唯一例外的に、人間を食べてはいけないというルールは合理的だといえます。)

しかし一方で、
「食べていいものと食べてはいけないもの」の勝手な独自ルールを作りたがる人がいます。
例えば、
「植物はOKで、動物由来のものはダメ」のベジタリアンだとか、
「牛はOKで、鯨はダメ」のシーシェパードとか。

余談:
イスラム教の豚肉禁止は、元々は感染症のキャリアになりやすい豚を食べることでパンデミックが起きないように、という予防的な教育的な意味で設定されたルールらしいです。

人間社会より高次元の「真理」みたいなものがあるとしたら、

シーシェパードのように、
“思想的に”食べていいものと食べてはいけないものの境界を勝手に作ることは、
真理から遠ざかることになると思います。

おそらく神様は食べ物に関するルールを作っていないはずなのに、
人間社会の勝手なルールを作って心酔することは反真理的じゃないでしょうか。

また、ちょっと話は変わって、
僕は牛肉は好んで食べますが、牛一頭を渡されて「食べろ」と言われたら、

おそらく牛を潰すことができないと思います。

かわいそうに思ってしまうからです。
頭を殴打して首を撥ねるなんてことは到底できなさそうです。

しかしこの「かわいそう」も反真理的なことだと思います。

なぜ、牛肉は今まで沢山食べてきたのに(つまり牛の命を奪い続けてきたのに)、
いざ自分で潰せと言われたらできないのか。

それは、食べる時に「命を食べている」という現実感が喪失してしまっているからだと思います。

牛はスーパーに陳列された時点で死んでいますし、
魚や植物は殺したって喋らないので、「命を食べている」実感を育むことがなく育ってしまいました。

これではいけないと僕は思いました。

  • 反真理的に「かわいそう」と思ってしまうこと
  • 食べても「命をたべている」実感がないこと

という2つの問題をどうすれば解決できるかということを考えて、

僕は、生まれたての動物を食べることにしました。

最も「命をたべている」実感が湧きそうですし、生まれてすぐ食べられるとかすごく「かわいそう」じゃないですか?

これを経験することで真理に近づけると考えたわけです。

で、その動物ですが、ウズラをチョイスしました。

なぜウズラかと言うと、

  • 卵の中って無菌っぽいので、卵から孵化した直後であれば生で食べても大丈夫そう
  • スーパーで売ってる卵も適切に温めれば孵化するらしいのでとっても低コスト

という2つの理由からです。

(ウズラの雌雄判別は難しいらしく、ウズラの卵は1パックに1個程有精卵が入っているそうです。)

しかも何がいいって、普通にうずらの卵は食べられるのに、それを2週間程温めただけで生き物になってそれを食べるのに抵抗感があるとか、非常に反真理的じゃないですか。

というわけでレッツ孵卵。

孵卵器を購入。1万5千円ぐらいだったはずです。
(もういらないので誰か買ってください)

あたためはじめて2週間ちょっとして、孵化しました。

で、すぐ食べました。

踊り食いです。

胃の中で暴れたら厄介なのでいっぱい水を飲みました。

そうして僕は真理にまた一歩近づいたのでした。

その時食べたウズラのヒナがこちら。

(苦手な人もいると思うので、アルミホイルで作ったレプリカを貼っておきます。
クリックすると本物のグロいヒナの写真に飛びます。)

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追記:

様々なコメントを頂いていますが、
人を食べる食べないの話で盛り上がっているみたいで、

tenkiasitahare.hatenablog.com

こちらで取り上げていただきました。
自分のブログで「人を食べる/食べない」の話をするとまた荒れそうなので、
こちらの記事のコメント欄で意見を交換しましょう笑

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