「誕生日を祝われるのが嫌い」というと変人扱いされるけど

2017年9月16日

僕は誕生日を人に祝われるのが嫌いです。

と言うと、厨二病でカッコつけてるとか、痛いとか、変人だとか思われるかもしれないが、大真面目に祝われるのが嫌なんです。

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なので、なんで嫌なのか自分の中での整理の意味も兼ねて、ここで表明しておきたいと思います。

ケーキが嫌いとかそんなチャチな理由じゃねえ

ケーキは大好きです。

でも、誕生日パーティみたいなものが好きじゃない。

誕生日がケーキとプレゼントをくれるだけのイベントだったらどんなにいいことか。
あと、僕は友達とキャッキャやるのも好きなんです。

祝われて照れてるんじゃないの?

照れているというより、どうしていいかわからないんです。

ハッピーバースデーの歌の最中、どんな顔をしていればいいんでしょうか。

年を重ねて嬉しいか、ひとつ年が増えて何が変わるのか、昨日と今日では何か年齢以外で変化はあるのか、ぜひよく考えてみてほしい。
べつに誕生日を迎えたって、嬉しくないはずです。

そうしたら、嬉しくもないのに祝われている時の気持ちを是非考えてみてほしいと思います。

誕生日イベントの一種の押し付けがましさ

誕生日パーティを自発的に企画するような節操のないヤツの話は置いておいて、
通常、誕生日パーティは他の人が勝手に企画して行われますよね。

(ここでの誕生日パーティとは、学校や会社や飲み会でハッピバースデーの歌を歌われる程度のものも含みます)

そこには
「アンタ誕生日ってめでたいじゃん。祝ってあげるよ。嬉しいでしょ。」という押し付けがましさがあるわけです。

僕は別に、「なすねむさん、、、本当に○○年間生きてきてくれてありがとう、、そしておめでとう、、、、」みたいなテンションで祝われるのであれば大変結構なことだと思うんですが、
実際、他人が数十年ただ生きたってことに意味を見いだせる人がいるでしょうか。
結局のところ、誕生日っていうのは祝う側が祝いたいがためのダシにされているだけなんですね。

友達思いのアタシ、誕生日を覚えてあげているエラいアタシ、みたいな自己陶酔が透けて見えてくるようです。

そもそも他人には関係ない話

僕が例えば、20歳の誕生日を迎えたとして、
5年来の友達に「20歳おめでとう!!」と言われたとします。

僕は僕が20年間生きてきたことを知っているので、その言葉の意味は分かるのですが、
5年来の友達には5年分しかわからないわけです。

「僕と出会って5年目おめでとう!」ならまだ意味がわかるんですが、
「20歳おめでとう!!」については、なぜ僕が20歳だと言えるのか、残りの15年分のお祝いはどこからきているのか、よくわかりません。

平たく言うと「20歳おめでとう」は「20年間生きてておめでとう」ということですが、
いや20年間を知らんやん、ということです。

というか自分にも知らん話

僕が20歳(例えばの話です)というのは、
親から聞いたり記録に残っているから20歳だといえるわけです。

でも、僕は5歳までの記憶は完全にありませんし、5歳までは死んでいたのと一緒です。

つまり僕はこの世に生を受けて15年目ということになります。

しかも、10歳の時の僕と今の僕は、連続した存在とはいえ、考え方が全く違いますし、精神的には完全に別物と言えます。
今の僕の精神世界の名残があるのは、少なく見積もっても15歳ぐらいからでしょう。

ということは、今の僕が生まれたのは5年前です。

そこに、「20歳おめでとう!」といわれても、「いや、5歳だよ」としか言えないわけです。

じゃあ誕生日ってなんなの

僕の誕生日っていうのは、僕の家族のための日です。特に両親。
僕の両親は僕が生まれてから1年毎に、「あの時産んだ子が、死ぬこと無く無事にまた1年ちゃんと育ってくれた」と思ったことでしょう。(知らんけど)

誕生日っていうのは僕が生まれてからの節目を親が祝う日だと思います。

親が僕の誕生日を祝うのは理解できる話です。
両親の中には僕の生まれてからの歴史があるからです。
もしくは、僕が死んだら悲しいので、逆に言うと生きていたら嬉しいからです。

よって家族かその準構成員以外で祝ってくるやつ、引く引く。

まとめ

僕は、「君の誕生日にかこつけて飲み会がしたいから、祝われるテイでいてくれ」と素直言われれば、喜んで飲み会に行きます。
サプライズ誕生日会なんて最低です。エゴ。ゴミ。

正直「祝われるのが嫌」は言い過ぎで、「祝われても嬉しくないのでやめてください」ぐらいの話でした。

祝われているうちが華?知らないです。

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雑記

Posted by nasnem