生きていればいいことがある、という妄言

「生きていればいいことがある」と最初に誰が言ったか知りませんが、ドラマなんかでよく使われるのはこんなシーンでしょう。

 

〜ビルの屋上にて〜
A「ここから飛び降りて死んでやる!」
B「どうして自殺なんかするの!?」
A「私の人生は最悪で、こんな辛い思いをするなら死んだほうがマシ!」
B「生きてらいいことがきっとあるわよ!!」
A「嘘よ!今まで生きてきていいことなんてひとつもなかった!」

 

ベタベタですが、大抵こんな感じでしょう。

この議論を考えた時、どちらが正しいことを言っているでしょうか。
Aさんは「生きていていいことがないので、死ぬべき」と主張し、
Bさんは「生きていれば今後いいことがあるから、生きるべき」と主張しています。

 

まず議論の時点を現在に設定すると、
Bさんの主張は通りませんね。
いいことがないのだから、死ぬ。
非常に理にかなっています。

 

では、将来に目を向けてみましょう。
生まれた直後に死んだ赤ちゃんでもなければ、「生きていればいいことがある」なんていうのは当たり前の話です。
10円を拾うとか、青信号ばっかり続くとか、快便とか、いいことは必ず起こるでしょう。
ただ、それでもって説得はできませんね。

なので、「いいこと」と「わるいこと」のそれぞれの総量で比較した時に、「いいこと」の総量の方が大きいから、生きていたほうがメリットが有る、というのが筋の通った話です。
つまり、「生きていればいいことがある」は総量の話をしていると考えられます。

総量で見て、人生は「いいこと」の方が多いのでしょうか。
ブッダは「人生そのものが苦であり、死とは苦の終焉である」と言っています。
これを正しいとするなら、人生では「わるいこと」の総量の方が多いということになります。

したがって、「いいこと」と「わるいこと」の総量の比較をして生きるべき死ぬべきの議論はナンセンスということになりますね。

ということは、「生きていればいいことがある」というのは実質何も言っていないのと一緒です。なぜならナンセンスだからです。

 

わからなくなってきました。

じゃあ、「わるいこと」の方が多いのに、人はなぜ死なないのでしょうか。
人はっていうかあなたはなぜ死なないのでしょうか。
コメントでおしえてください。

「痛いのが嫌だから」とか「家族が悲しむから」ぐらいの感じのは大丈夫です。

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雑記

Posted by nasnem